2007年4月11日 (水)

”改革派”滋賀県知事と民意の行方

 先日行われた統一地方選では、滋賀県議会選挙において新幹線新駅の建設に反対する嘉田由紀子知事を支持する「対話でつなごう滋賀の会(対話の会)」の他、嘉田県政に賛同する政党・会派が議席数を大幅に増やした。それに対して、議席数を大きく減らし大敗したのは自民党である。思えば、新幹線新駅という箱物公共事業に反対する気運が都道府県規模で明確な形となって示されたケースは珍しい。本日は久々のエントリになるが、今一度嘉田知事当選に始まる滋賀県政の一連の動きを振り返ってみたい。

 嘉田由紀子氏が当選したのは昨年七月。選挙前から県で問題になっていたのは新幹線の新駅を栗東市に建設するというものだった。滋賀県民の大半はこの新駅建設に反対の姿勢をとることになったわけだが、それには事情がある。大阪を発って名古屋方面へJR在来線を利用して行く場合、新快速が一番速く運行しているのだが、滋賀県南部の停車駅は意外に多く、滋賀県在住者からすると在来線でも都市圏へのアクセスにはそれほど事欠かない。これに対して建設予定だった新幹線新駅は、利用者の少ない単線路線で行かなければならない場所にあり、不便なことこの上ない。また、大阪発の新快速列車は長浜を終点として停車することが多く、これによって長浜市などは多くの観光収入を得て地域の町おこしに見事成功している。新駅の利便性の低さに加え、自力で地域振興を成し遂げたという県民の経験が、そのまま新幹線新駅に反対する動きとなって現れたのである。それはほとんど暗黙のコンセンサスに近いものであったに違いない。ともあれ、滋賀のこのケースは箱物公共事業に反対する県民の思いが反映された稀なケースとも言える。

 元来、公共事業に反対する動きというのは、住民投票において示されることが多い問題であった。しかしながら、住民投票は民意を反映する一つの手段であるとはいえ、施政に真っ向から対抗しようとする民意の”力攻め”である。代議制のシステムではこういう明確な不満の意思表示をしなくてもいいように、選挙の時点で公共事業反対の意思を示しておけば良いのだが、そうならずに住民投票に至ってしまうケースが圧倒的に多い。それは選挙において十分な選択肢が示されていない所為である。概して公共事業に結び付きが強い保守政党は、確かに民意の強い反対に遭うこともあるが、市民は選挙の際に公共事業問題だけでなく施政を総合的に判断する。その結果、公共事業には反対であるにもかかわらず、他の候補が包括的な施策の魅力と信頼性に欠けるということになり、依然として現職候補が選ばれてしまうのである。全体で見て良い選択肢が無いからやむなく現状維持せざるを得ない、という民意の決断は非常に理性的なものであるが、やはり市民としては公共事業に反対する立場上、現状維持というのは消去法の選択でしかない。そのような場合、自分たちの意に適う候補を市民自らが擁立することはできないものだろうか。市民が候補者選びから立候補、そして当選までを一貫して主導できるならば、それは代議制下では一種理想の自治モデルと言えるであろうし、それを可能にするシステムあるいはモデルとなる事例がないものかと思う。先に挙げた滋賀県政の例を見てみると、嘉田氏は広く民衆の支持を集めて当選したのであるが、市民が嘉田氏に立候補を要請したというわけではなく、嘉田氏の示す施政の方針に市民が賛同して乗っかった、と言う方が正しい。一般的には嘉田氏を知事に押し上げた民意の力に驚く人のほうが多いことであろうが、私はむしろ民意に沿う施政を掲げる嘉田氏が立候補していたという偶然の方が貴重で驚きに値することだと思っている。

 一般に「市民派」を名乗る政治家というのは、画期的な改革の提言をしていることもあるが、他の政策に関しては極端なスタンスを取っていたりするなど、総合的な観点から評価できない者が多い。それは彼らが「市民派」という言葉を、現実的な方法論の上でのスタンスとしてではなく、イデオロギー的性格を帯びたものとして受け止めている所為である。嘉田知事は箱物事業に反対する県民の民意によって当選した「市民派」の政治家であるが、その施策がイデオロギーだけに依拠することなく、現実に合わせて対処していくことが望ましい。知事は脱ダムの選挙公約も掲げていたそうだが、脱ダムは前長野県知事の田中康夫氏が政治生命を懸けて取り組んだ課題であり、そう簡単に達成できるようなものではない。嘉田氏を知事に選んだ県民の側にも様々な理想はあることだろうが、現実には何を優先すべきかという判断を誤ることなく、滋賀県に芽生えた改革の兆しを絶やさないで欲しいと思うものである。

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2006年8月24日 (木)

「普通の国」になるということ

 昨日の夕方のニュースで独立総合研究所首席研究員の青山繁晴氏が北朝鮮の地下核実験が近々行われるという報道に関してコメントしていた。青山氏は現在の状況を全く楽観すべからざるとした上で、この事件を受けて日本が悪く変化してしまわないように訴える。特に、北朝鮮の核武装に対して日本も核武装しようという意見が出てきていることについて、深い嘆きと核武装反対の意を表していた。青山氏は現職の国会議員に対するアンケート調査で全体の6割が核武装を視野に入れている(賛成というわけではない)ということを挙げた上で、東大で講義した際の話として、成績優秀な学生が核武装論に対して何ら疑問を抱かなかったこと、そして彼らに対し、日本の平和主義は単なる政策ではなく”哲学”である、と語ったことを紹介していた。

 核武装に関する私の基本的スタンスは過去のエントリで書いた通りなのであるが、やはり日本が核武装や再軍備をして「普通の国」になることにはデメリットが多いな、と改めて思う。まず日本が核武装をすれば、日本が先頭に立って推し進めてきた世界の非核化を目指す種々の会議が台無しとなり、日本は世界各国から強い非難を受けることとなる。のみならず、核保有への非難の力が弱まったことを受けて、その後の核保有国が増えていくことになるだろう。再軍備をするにしても、世界各国はそれを日本がどこかへ侵略を開始するメッセージとして受け取るかもしれない(これは東アジアに限定したことではない)。どのみち、日本は世界の強い非難を受けることになる。一方で、そうすることのメリットは、明晰な東大生の頭では何か考えつくのか知らないが、単独で国家に侵略行為を行えるようになる、ということくらいしか考えられない。そして、日本の立場はと言うと、60年間続けてきた平和主義、非核原則をかなぐり捨てた「普通の国」になるが、そこで平和主義に変えていかなる主義原則を持ち出そうというのか。青山氏の発言の核心はおそらくここにある。核武装や再軍備という行為は、単独の政策のように、後でやり直しのきくようなものではなく、現在の日本外交の基盤そのものを変化させてしまうような抜本的なものなのである。こうした抜本的な変化の後では、再び日本が平和を唱えることがあろうとも、世界には武力侵略を行いながら平和的行為と宣っている現在の米国と同等に映るであろうことを、自覚しておかなくてはならない。

 私が改めてこのような「平和・非核論」を書いたのは、青山氏が発言の中で核武装を容認するような意見が増えていると触れたことに衝撃を受けたからである。こうした意見の増加の背景とは何か。すぐに世論の右傾化という言葉が思い当たるが、さすがにそれは違うだろう。私が思うに、リアリズム的な視点が広く定着し、強まってきたからではないだろうか。つまり、感情論に囚われない冷静なものの見方が、逆に価値というものを見えなくさせてしまったのでは、と私は推察する。というのは、核武装を容認する方向の政治家や、その東大生もおそらくは、実際の核や武力の行使を意図してではなく、それらの保有自体を一つの外交カードとして、或いは世界各国と日本とを相対的なものとして見た結果であっただろうからである。

 そもそも、リアリズム即ち現実主義という言葉には、感情や理念と決別した単なる現実の後追いというネガティブなイメージがあった。私の想像通りだとすれば、前述の核武装容認論者たちはまさにこういうイメージに合致してしまう。では、現実主義をこうしたネガティブなイメージを排したものにするにはどうすればよいのだろうか。日本における戦後現実主義論壇の立役者である故・高坂正堯先生の言葉はとても示唆に富んでいる。

国際政治に直面する人びとは、しばしばこの最小限の道徳的要請と自国の利益の要請との二者択一に迫られることがある。それゆえ、国際政治に直面する人びとは懐疑的にならざるをえない。しかし、彼は絶望に、道徳的要請をかえりみないようになってはならないのである。
高坂正堯著「国際政治―恐怖と希望」p202

 いかにも、感情論に走って現実を省みないようになったり、ひたすら冷めた目で現実を見たりするだけに終始するのは簡単である。しかし、そのどちらにも偏らず、希望をもってその中間を歩んでいくことこそが、生きた現実主義の真のあり方ではなかろうか。

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2006年7月17日 (月)

列強の衝突とモラトリアム会議

 久々のエントリである。いろいろとエントリにできるようなネタはあるにはあったのだが、まとまった文章を書く余裕がないままに結構な期間が過ぎてしまった。これまでは所詮やる気の問題に過ぎなかったのだろうが、三年生の夏休み以降は本当に忙しくなりそうで、更新を続けていける自信はない。意外と「忙中閑あり」などと言ってエントリを書いていたりするかもしれないが、不定期更新はやむを得ないので、その旨ご了承されたい。なお、私が怠惰の中にあった間にも、ページビューが全く衰えることなかったのには、驚きと共に感謝を感じている。

 本日のエントリは、例の北朝鮮ミサイル問題に関連したものである。今回のような大きな事件については、たいてい私なんぞが書くよりも秀逸なエントリが出ているので、あまり触れないことにしているのだが、今回は問題の裏にある一つの背景事情を明らかにしたいと思う。一部のブロガー諸氏は既にこの辺の事情を基礎認識とされているようだが、今一度基礎を整理してみるのも悪くはないだろう。

 5日未明に北朝鮮がミサイルを発射したとき、多くの日本人は非常に大きな衝撃を受けたことだろう。その衝撃の大きさ故に、対北朝鮮制裁が速やかに行われると予測した人も少ないはずである。しかし、現実には日本の制裁決議案は中国・ロシアの反対によって延期され、決議採択までが難航している。このように現実がミサイル発射の重大性とは裏腹になっているのはなぜだろうか。それを考えるには日本を中心にしていても何も始まらない。各国の立ち位置というものを再確認する必要がある。

 まずは韓国であるが、あの国の認識は明らかに日本と違う。韓国の姿勢は太陽政策と呼ばれる基本指針が示すように、北朝鮮を同民族国家と考え、融和の先に南北民族統一という夢を描いているのである。しかし、韓国は北朝鮮との統一をひたすらに進めたいかと言うと、そうではない。南北統一に伴う経済格差是正によるリスクは韓国も重々承知していて、現在の体制のまま北朝鮮が経済的に発展することを望んでいる節がある。実質上、北朝鮮は韓国と同じ民族国家ではないのだが(この点は過去に指摘した)、民族という幻想を抱き、一方で経済格差という厳然たる事実の前に立ち止まらざるを得ないジレンマが彼の国には存在している。

 この南北の経済格差という問題だが、もし朝鮮半島が併合した場合、それに伴うリスクは韓国のみならず、資金援助や難民受け入れという形で近隣諸国が多かれ少なかれ責任を果たさねばならなくなる。おそらく韓国の次に影響が及ぶのが中国であり、更にその次が日本である。「北朝鮮を潰しても構わない」という過激な発言は、もはや巷間でよく耳にするものであるけれども、日本も北朝鮮崩壊によるリスクの一端を負う運命にあることを理解した上でなければならない。

 他に北朝鮮を取り巻く諸国としては、中国・ロシア・米国という大国が浮上する。これらの国々は、大国という地位ゆえに互いに相容れることがない。BRICsと呼ばれ経済発展著しい中国とロシアは、共同で軍事訓練を行うなど共同歩調を取っているかに見えるが、その実、国力面では潜在的なライバル関係にあり、共通の敵あるいは味方を作り出しておかなければ、中長期的に二国は互いに衝突しかねない。また、ロシアからすれば、北朝鮮はソヴィエトで社会主義を学んだ金日成が建てた国であり、これを失うことは自らの極東における勢力圏の一端を失うことだとも言える。

 残るは超大国と呼ばれる米国であるが、彼の国が東アジアにおいて抱えている最も大きな懸念は中国の台頭である。もちろん米国の対中政策は封じ込めなどではなく、「responsible stakeholder(責任ある利害共有者)」という言葉が示すように、一定の関係を保ちつつ相手を取り込んでいく指針である。しかし、イデオロギーの相違などの種々の問題を抱えた両国は、国力の増大に伴って互いに警戒せざるを得なくなっている。両国の外交の一挙一動に緊張が走る現在、両国が北朝鮮問題を巡って同じテーブルに着いていることは互いの出方を探る意味でも、重要な会議のはずである。まして、北朝鮮問題というテーブルが無いならば、両国の外交には更にセンシティブな緊張感がつきまとうことだろう。

 こうして見てみると、北朝鮮を挟んで話し合っている各国は、決して円滑な関係を築いているわけではないことが分かる。むしろ、北朝鮮問題というテーブルを挟むことによって、各国は体裁上とは言えども協調的な姿勢を作り出すことに成功しているのだ。だから、この事情を踏まえて考えると、北朝鮮を巡る六ヵ国会議は各国が北朝鮮を巡って利害を調整する場と言うよりはむしろ各国が利害で直接衝突しないようにするための”モラトリアム(猶予)会議”と捉えるのがふさわしいだろう。

 ちなみに、この構図は第一次大戦前に中国に対して侵略を行った列強の対立に似ている。当時は義和団事件の鎮圧に列強が8ヵ国共同出兵を行うまでになったが、いざ中国の利権を食い尽くした後になると、列強同士の対立は激化した。現代でも同様に、北朝鮮問題が消え去った後にこそ、真の列強の対立が待っているのではないかと思う。無論、そこで繰り広げられる対立はすぐさま大戦へ発展するようなものではない。だが、経済的な対立関係を基調としながらも、武力というカードをちらつかせつつ、現代の列強同士のパワーゲームは始まることであろう。そうした観測に基づけば、現在の北朝鮮は奇しくも列強同士の緩衝地帯になっている現状が浮かび上がる。各国にとって北朝鮮が存在していることのメリットはほとんど無いけれども、北朝鮮がなくなった場合のデメリットの大きさゆえに、逆説的に北朝鮮を潰せないという事態が生じているのではないだろうか。

 こうした状況の中、日本だけが北朝鮮問題に対して真剣な取り組みをしているように見受けられる。それは、北朝鮮のミサイルが高確率で日本に向けられていることに加えて、少数の犠牲を顧みる必要のない大国の論理を、平和主義国家である日本は受け入れられないことによる。だからこそ、日本国内において極端な見解しか持ち合わせない右派や左派の発言力が増大するのだとも言えよう。

 さて、肝心のミサイル発射に関する国連決議の行方だが、私がこの草稿のアイディアを練っている間に結果が出てしまった。私が言いたかったのは、もし中国やロシアが拒否を示し続けた場合、問題は北朝鮮を通り越して、米国vs中国・ロシアの鮮明なる対立構図に置き換えられるに過ぎないということである。北朝鮮が一種の緩衝地帯であり、それに伴う協議が各国にとってモラトリアムであるということを考えたとき、中国が適当な落とし所を作ってきたのは至極必然的な帰着である。当初中国・ロシアが拒否をしていたのは特に異常なことでもなく、贈り物に対して一度辞退してから受け取るのが日本人の儀礼であるように、国際的な外交儀礼としてそうしていただけのことである。兎にも角にも、北朝鮮の思わぬ暴発が日本にとって有利に運んだことに、私は素直な感慨を抱くものである。

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2006年4月16日 (日)

君主の資質

 民主党の新代表が小沢一郎氏に決定した。以前のエントリでは、前原氏が代表から降りることを嘆くあまり、民主党の前途は見えないと述べたが、私はそれでも民主党に頑張って欲しいとの思いを捨ててはいない。なぜなら、民主党が政権交代政党として果たす役割はまだまだ大きく、与党と野党の緊張関係が持続しなければ政治はすぐに腐敗に向かっていってしまうからである。私は基本的には自民党を支持するが、掲げる理念としては民主党の政権交代構想をより一層強く支持している。それにもかかわらず、過去の選挙で自民党に支持したいと思ったのは、結局のところ判断の決め手となるのは政策だからである。民主党には支持するに足る政党に早く成長して欲しいと思う次第である。

 さて、小沢氏に決定した新代表だが、早くも巷では様々な言説が聞かれる。その中で際だっているのは、小沢氏の「政治屋」というイメージに関したものである。ここで言う「政治屋」とは、政治的手腕に長け、目的のためには手段を選ばないような政治家像を指しているものだと思われる。確かに、政治的手腕に長けた政治家は攻撃的なイメージがつきまとい、政治家に穏健的なものを期待する市民にとっては、苦手な部類に入るだろう。だが、政治家というものは本当にそのような清新なイメージだけでやっていける職業なのだろうか。政治家像というものについては、政治学の古典として有名な「君主論」が私たちに大きな示唆を与えてくれる。

 「君主論」は政治における権謀術数を賞賛したものとして、しばしば批判されがちであるが、著者のマキャベリが目指した理想とは、そのような陳腐なものではない。彼は、数多の歴史の事例から引き出して、政治において何かを達成することがとても難しいことを主張した。政治において善悪が簡単に判断できる問題は少なく、悪を避けようとすれば、何をも為すことができないからである。そして、その中で何かを成し遂げるには、大きな目的のために小さな犠牲も厭わない、英雄的な精神を持った君主を待ち望んだのである。

 ここからあるべき政治家像を汲み取るならば、それは幾多の政治的困難を乗り切る力と統率を持った政治家でなければならないということになる。奇しくも、現代の理想的政治家像に則った宰相こそ、現在の小泉首相であった。彼は、できないと言われた自民党の悪しき癒着構造の旧弊を打破した。この点において小泉首相は政治に必要な実行力を持っていたと言える。そして今、野党第一党に立った小沢氏は、この時代の傑物である小泉首相に対抗できるのだろうか。

 政治に必要な力と統率については、小沢氏は小泉首相に勝るとも劣らない力を示すだろう。だが、小泉首相は政治に必要な統率を持つと共に、清新なイメージも持っていた。それは一言には言い表せないが、若さや外見、旧弊打破のスタンスなどの諸要素から出来上がったものであろう。残念ながら、小沢氏はこの清新なイメージを持っていない。しかし、小泉首相の任期は今年の9月までである。「ポスト小泉」の面々が小泉カラーからの脱却を図るならば、小沢氏にも勝機が見えてくるかもしれない。

 ともあれ、小沢氏は目的に対する強い実行力を持った政治家である。彼が提示する政策が国民の望みと一致するならば、彼は小泉首相に勝るとも劣らない功績を残すだろう。小沢氏が「小泉後」をにらんだ効果的な政策を打ち出してくれることを期待したい。

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2006年4月11日 (火)

対中デタントの始まり

 昨日は中央公論5月号の発売日であった。漫画雑誌を買うことの無かった私が、他の人が買わないような硬派なものを読もうと思って二年前に買い始めて以来、今ではこの雑誌を買うことが月に一回の楽しみとして定着している。この種のオピニオン雑誌では他にも様々なものがあるが、私が敢えて中央公論を選んだのは、過激な言論を避け、落ち着いた視点で世間を論評している姿勢が気に入ったからだ。中でも、今月号で最も心待ちにしていた雪斎先生の論文は、激情に任せて語ることを避け、冷静に、そして誠実に現実と向き合ったものであった。政治に関する論者は「右翼」「左翼」という区分けで論じられがちであるけれども、雪斎先生はそのどちらでもない「現実主義」の論壇に立つ政治学者として、揺るぎない主張の堅強さを誇っていると思う。今月号の雪斎先生の論文は対中政策について論じたもので、これまでの強硬策に代わる次段階の政策として、デタントの必要を提言している。感情に囚われずに考えるならば、強硬策の後にはいつか緊張緩和のタイミングを見つけ出す必要があるわけで、その点では私の考えと大筋で一致している。ただ、現状認識のいくつかのポイントで私の考えとは相違が見られるので、それらについてまとめようと思う。なお、私の対中政策についての今後の展望は4月1日のエントリで簡潔に明かしている。そちらを参照しながら以下をご覧いただきたい。

 まず、雪斎先生と異なるのは、小泉外交に対する評価である。端的に言うと、先生は否定的に、私は肯定的に評価している点が異なっている。先生は対中強硬策による国交の半断絶状態を、国際政治における停滞として見ているが、私は単なる停滞として見ていない。私の小泉外交に対して評価する視点の基盤になっているのは、靖国問題が一つの外交カードであるという認識であり、小泉外交は確かに表面上は停滞だったと言えるかも知れないが、中国問題が辿ってきた歴史的経緯を鑑みるならば、戦争責任問題の道義的側面と権力政治的側面の切り離しを迫った点において肯定的な評価を下せるのである。小泉首相自身がそれを意図したのかどうかは不明だが、外交断絶は”有意義な沈黙”として次のステップへの足固めの役割を果たしている。一方、小泉外交に対して否定的評価を下した雪斎先生も、文脈上では戦争責任問題が政治的干渉を受けずに本質的解決を必要としていることを述べており、結果それほど観点の相違はないように思う。とすれば、これは微妙な差異に過ぎないが、このことは思考の立脚点が多様であることを示しているのではなかろうか。

 二つ目の相違点は、中国の統治体制の強さに関してである。先生は中国の経済的成長に対する一方的な肯定的評価に疑問を呈する意味で、統治体制の不安定性を提示している。だが、私はこの不安定性が体制にあまり大きな影響を及ぼさないと考えている。なぜなら、中国は体制として徹底した中央集権を採用しており、これらの不安定性が障害として発現するのを押さえ込めるだけの国家権力を有していると評価するからである。これは中国が独裁国家であるとする言説ではない。あくまでも中国の統治構造と、数々の暴動が鎮圧された事実に基づいている。ただ、これらについて中国が困る局面があったならば、日本はその局面の打開のために協力することを外交上の”アメ”として提示して良いと思う。

 最後に提示する先生との相違は、この問題に関する最も重要な論点である。それは中国を政治における合理的アクターとして捉えるか否かの問題である。先生は中国の外交担当者が周恩来のような卓越した実務家の系譜であるとして、合理的アクターとしての中国に期待を寄せている。それに対し、私は4月1日に挙げた二つ目の問いで明らかにしているように、実務家が必ずしも自由に動ける態勢ではないではないことを挙げて、合理的アクターとしての中国に疑問符を付けている。近代国家の一つである中国は、その内部の軍部や民衆の反発を抑え込む術を完璧には為し得ないからである。結果、全体として見た中国は”足かせによって合理的になりきれないアクター”であるとするのが私の評価である。このことが政策決定にどのように影響してくるかは判然としないが、対中デタントに際してはこれまでに無いほどの慎重さをもって外交を進めなければならないことが言えるだろう。ついでに言うなら、「ポスト小泉」の時期にデタントに踏み切ることも極度の慎重さを必要とする。下手をすればデタントが失敗に終わり、再び中国の「靖国カード」が復活しかねないのである。この理由から、私はデタントまでにもう一段階、「ポスト小泉」でも強硬姿勢を崩さないアピールが必要かと思う。そうしてやっと、中国に意味を納得してもらった上でのデタントができるのだと思う。

 ここまで雪斎先生の論文との細かな相違点を指摘してきたわけだが、先生と私の主張はその結論について何ら違いはない。これまでの強硬策に代わる対中デタントがこの先数年の間に要請されること。これは日本外交が向き合わなくてはならない厳然とした現実である。日本が左右の陳腐な感情論に惑わされることなく、毅然とした外交姿勢をとることを私は願ってやまない。

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2006年4月 1日 (土)

強硬策の始まりと終わり

 今日は予告していた通り、一昨日のエントリの続きを書こうと思う。一昨日のエントリでは、高坂先生の著作を読み解いて、日中関係の前進のためには戦争責任の問題についての思い切った「決断」が必要であると書いた。しかし、それからの日本が辿ってきた道は、中国に対する明確な決断を避けたまま、態度のはっきりしない外交姿勢を続けるものであったように感じる。一般には、この外交姿勢が”弱腰外交”と言われ続けてきたのだが、このことは中国問題を特段に悪化させるものでもなかったと思う。なぜなら、そうした姿勢は問題に対して本質的解決を避けて先送りにするものでしかないからである。一方で、中国の突きつけてくる戦争責任に対する要求は、日本が”弱腰外交”を続けた長い期間のうちに、やがて中身のない陳腐な要求へと変わっていった。いつまでも同じ要求を繰り返す中国に対して、国際社会はそれが利己的なものに過ぎないと気付きだしたのだ。

 残念なことに、日本では戦争責任の問題を道義的側面でしか捉えてこなかった。しかし、問題を提起する主体は一つの権力国家に過ぎない。そう考えたとき、中国が繰り返す要求は利己的であることが見えてくるのだ。最近は日本でもそうした考えを持つ人が多くなってきている。その中でささやかれ出した、戦争責任問題が中国の外交カードであるとの考え方は、戦争責任の道義的色彩が薄れた現在においては有効なものであると言えよう。なお、外交カードについての考え方は、馬車馬氏によるエントリが非常に秀逸である。是非そちらを一読されてから、続きを読んでいただきたい。

 ”弱腰外交”をずっと続けてきた日本であったが、小泉首相はその旧弊をいとも簡単に打破した。小泉首相が靖国参拝を強行することによって、ついに「決断」が実行されたのである。小泉外交は中国に対する態度を驚くほど一変させた。それはまさに現代日本の”外交革命”と呼ぶにふさわしい。一方、革命的な小泉外交に比して、以前の”弱腰外交”にはより一層の批判が加えられるようになったが、中国の外交カードを陳腐化させた功績という点では、”弱腰外交”は今の小泉外交の布石として十分すぎる役割を果たしたように思う。

 小泉以後の対中強硬姿勢は、戦争責任の道義的側面と権力主義的側面の切り離しを迫った点において評価ができる。だが、強硬策には言うまでもなくデメリットがあり、使う時と場合を考えないと、自らに被害が及ぶ諸刃の剣であると心得なければならない。つまり、小泉外交が打ち出した強硬策は、その目的が達成されたタイミングを見極めないと、中途半端な効果に終わってしまったり、却って自らに害を為してしまう性質のものなのである。では、対中強硬策の「目的が達成されるタイミング」とはいつなのかという問題の答を、以下に提示する三つの問いを通して明らかにしていきたい。

1.中国が「靖国カード」をまだ使えると思っている可能性は?
 あると思う。なぜなら、靖国問題については日本国内でも賛否が分かれているからである。ポスト小泉が親中政権になる可能性がまだ少なくない今、中国はあえて「靖国カード」を放棄する理由がないのである。しかし、もしポスト小泉が対中強硬派になるならば(むしろ親中派が寝返るというシナリオの方がインパクトが大きいかもしれないが)、中国がカードを繰り返し突きつけることの愚を悟り、放棄する公算が大きい。

2.中国は日本に対して妥協する必要があると感じているだろうか?
 感じている人々とそうでない人々がいると思う。問題再考-胡錦濤体制で何が変わったか(前編中編後編のエントリでも論じたように、経済の重要性を理解している政策担当者は、日本に対する妥協点を探っているだろう。しかし、軍を中心とした愛国者たちは何が何でも妥協する必要を否定するだろう。それは日本がどれだけ総合力における優位を確立していたとしても、である。だから、愛国者の存在は妥協点を探る政策担当者にとっても足かせとなる。このとき、日本は中国の政策担当者が二の足を踏む現状を打開するために積極的に働きかけるべきだ。幸い、日本は中国に対しての経済的な優位がある。そこで、日本から中国に対して積極的に利益を示すなどして(アメに対してムチを用いることももちろんアリだ)、中国の妥協に誘導していけば良いと思う。それこそが、日本の目指すべき能動的な外交である。まずは中国の妥協を誘うことが、強硬策後の”デタント”を見据えた動きになると思う。

3.日本の強硬策はいつまで続けられるか?
 まず、日本が強硬策をとれる背景は、その経済優位にあることを自覚しなければならない。それを踏まえて考えるならば、中国経済がより一層の発展の契機を見いだす前に、問題にケリをつけてしまわなければならない。今のところ中国の政治経済双方に多大な変動を及ぼす考えられているのは、台湾次期総統選と北京五輪が開催される2008年である。日本が強硬策を続けたとしても、この出来事の前後では、強硬策をとった時のコストが大きく異なってくるだろう。力をつけた国家に対して支払われる代償はそれだけ大きくなるからである。私はその理由から、強硬策の最終期限を2008年までだと提案したい。それまでに強硬策の目的が達成されなければ、一旦はその意図を諦めるしかないように思う。経済発展についての重要な時期に、政治が原因で経済が阻害されるようなことがあっては、日本にとってもダメージが大きくなるからである。その場合、強硬策を止めるからといって特に媚びる姿勢に変える必要もない。政治についての論議は一切凍結して、「政令経熱」の状態に戻すのである。もちろん、それは望ましい結末でないことは明らかである。だから、2008年までの僅かな期間こそが、中国問題についての正念場であると言えよう。

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2006年3月31日 (金)

死亡宣告を受けた民主党

 今日は昨日のエントリに続いて中国問題を扱うつもりであることを予告していたが、民主党前原代表が辞任するとのことなので、そちらを優先して書きたい。無論、無闇に時勢を追ったエントリであるので、いつものような論理的な分析はなく、雑感といった感じが否めないと思う。読者の皆さんは「ふーん、そうなんだ」程度の気持ちで読んでいただけると幸いである。中国問題の続編は草稿が仕上がっているので、明日には問題なく掲載できると思う。

 近年の民主党の成長には目を見張るものがあると私は見ていた。民主党が現れる以前の日本の政党政治は、思えば雑なものであったからである。与党になるほどの党勢もない野党がいくつも乱立して、口々に偉そうな文句を言い募る状態。彼ら弱小野党には政権を担う力なんてあるはずもないのに、与党だけが手にできる為政者としての権限を有名無実な公約として言いふらし、選挙戦において不毛な議論を生んできたのである。その中に本当の意味で政権を担うことの出来る力を持った野党はなかっただろう。かの社会党でさえ、経験豊富な自民党と組むことでしか、政治の場における主人としての役割を果たせなかったのである。しかし、その中で民主党が登場したことは膠着した政党政治に活気を与えたことは言うまでもない。

 民主党が果たした大きな役割はいくつかある。一つには、民主党が他の野党と一線を画する「政権交代政党」として売り出したこと。これはイギリスのシャドウキャビネットを真似た”ネクストキャビネット”構想や、施政方針に重みを持たせた”マニフェスト”にも明らかである。民主党は他の野党と違い、自らに政権担当能力があることアピールすることによって、自民党による不動の55年体制を揺るがせた。それまでずっと実質上の”代役”がいなかった与党のポストに成り代われる力を、野党で初めて国民に示したのである。

 二つめの大きな役割は、彼らがリアリズムの視座を持っていたことである。それまでの日本の国政の場における野党とは、与党の意見に何が何でも対立する立場だと思い込まれていた。どの政党もひたすら与党に対するアンチテーゼでなくてはならないという気風があったのである。しかし、そのことは野党に、時に非現実的な姿勢をもとらせることになった。現実には到底行い得ないようなことでも、彼らは与党の方針に少しでも誤りがあれば、それを糾弾し、対立政策をとった。それはひとえに、与党に対する過剰なまでの敵愾心と、国民の期待に応えようとする過剰な自負からである。彼らは、国の政策が少しも誤ったものであってはならないという立場をとるあまり、この世に最良の政策など存在しなく、政策の選択は常にベター(マシ)なものを選ぶに過ぎない、ということを忘却してしまったのである。つまり彼らは、どれだけ理念の素晴らしい政策であっても、現実に行い得るものであるかどうかという問題に対して目を向けようとしなかったのである。有権者はこのことをよく見ていた。いくら美辞麗句で飾っても、実際にそんなことができるのかという疑惑の目を向けていたのである。
 それに対して、民主党には今までとは一味違う”若手”が揃っていた。彼らは「理想」に対する理念をもった政治家ではなく、「現実」に対する理念をもった政治家だったのである。このことは、民主党が自民党の政策に対して賛意を示しすぎていると批判があったことを、逆説的に読み取れば分かるだろう。民主党は、自民党に反対か否かではなく、その政策が妥当か否かという点について真摯な姿勢をとったのである。

 これらの民主党の役割は、自民党に対して党勢を拡大する中で培われ、前原体制の確立によってピークを迎えたと言っていいだろう。特に前原体制に変わってからは、外交においてもリアリズムの視座が養われたと言える。前原代表が訪米したとき、彼は憶することなく中国を脅威と言ってのけた。この事実に対しても、各所で様々な議論が展開された。しかし彼は、自身の発言に政治的影響力があることまでは思い至らなかったようであるが、中国の成長する総合的な力が、その運用意図が不明瞭であるという点において「脅威」だと語ったことについて、現実に対して誠実な観点を持っていると言えるだろう。

 私はこの前原氏を代表になる以前から評価していた。なぜなら彼は、私の尊敬する高坂正堯先生のゼミ生であり、雑誌などの場での彼の発言はその期待を裏切らないものだったからである。前原氏が代表になったとき、私は非常に驚いたものである。しかし今日、彼は何ともやるせない理由で辞意を表明することになった。その原因となったところの永田議員は一体どのように考えているのだろうか。

 私はずっと、一連のメール疑惑問題については特に興味がなかった。ただ一つ、この問題について想いを語るのであれば、それはただ”不毛”の一語に尽きる。全く無意味なのだ、そんな問題について語ることは。しかし、それなのに、永田議員は無用な犠牲を増やした。一人は情報提供者の西澤氏である。彼の提供したような、真偽の怪しい情報は、探せば他にいくらでも転がっているだろう。彼は多くの怪しい情報の一つを提供してしまった「多数の中の一人」に過ぎない。悪いのは、それを取り上げてしまった政治なのだ。それなのに、永田議員は結局彼の名前を公表してしまった。そのことが、特に悪意のなかったはずの彼をスケープゴートにしてしまうことは明白だったはずである。全く節操のない、不毛な犠牲だと思えた。前原代表についても同様である。永田議員は、自分にふりかかった責任が他者を苦しめることに対して無自覚だったのだろうか。それならあまりにもこの問題は不毛ではないか。私はこの一連の問題に対して、不毛だと嘆き、絶望するしかない。

 加えて、前原代表辞任後の民主党には全く展望が見えない。「小泉後」も未知の可能性に溢れている(期待が持てる)自民党に対して、民主党の後釜で浮かぶのは、見飽きた顔ばかりである。もしかしたら、今まで黙してきた小沢氏が強権的な体制に作り変えるという「サプライズ」があるかもしれないが、小沢氏の統率には包容力がなく、より一層の党勢弱体化を招く可能性もある。そういう意味では、前原体制は「小泉後」の体制にも十分張り合える理論と新鮮さを備えた民主党最後の希望だったように感じる。その希望を失った今、私は今後の民主党に対して、期待を一切捨てて、冷ややかに見守ることしかできないのである。

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2006年3月30日 (木)

中国問題の要点

 故・高坂正堯京大教授による「中国問題とはなにか」という論文を読んだ。雑誌「自由」1964年4月号に収録されていた論文で、年代は非常に古いのだが、その内容は40年経った今でも、日本がまだ解決できない中国問題に対する示唆に富んでいる。今日はその論文の内容をひもときつつ、現在の対中政策の要点を整理してみたい。

 まず、中国問題の争点とは何か。それはすなわち、内戦、戦争責任、革命の三点であると高坂先生は言う。そして、その中で高坂先生が論文の多くを割いて論じるのは、革命という要素についてである。なぜなら、この要素だけが、中国との直接の利益折衝とは関係なく、日本国内で紛糾しているイデオロギーの問題だからである。内戦(台湾問題)や戦争責任の問題は、日中外交において現実に折衝の行われる部分であるが、中国が打ち立てた革命政府に対する態度というのは、日本人が勝手に妄想し作り上げた問題であると言うのだ。いかにも現実主義論壇に立つ高坂先生らしい重点の置き方である。

 中国に対して極端な思想を掲げる人を見るとき、彼らは往々にして次のように語る。中国は共産政府であるから、内部崩壊するのが必然であると。或いは、中国は共産主義を掲げているのだから、その理念に沿えば非平和的な政策など行わないと。しかし、彼らは中国は共産主義を掲げる以前に一つの権力国家であるという事実を直視していないのである。確かに、共産主義の理念から導かれる極端な結論は、もしかしたら実現するかも知れない。だが、その究極的な結末に至るまでの過渡期に日本はどうふるまうべきなのか。中国問題を革命の問題だけで処理しようとする人々は、我々が避けて通れない厳然たる現実を直視していないのだ。革命の問題を論ずることは、現実に対して何の意味も持たないのである。

 高坂先生はそこまでを中国問題に対するときの最低限の、しかし必須の、心構えとして説いている。そうしてやっと、現実に向き合うことになる内戦(台湾問題)と戦争責任の問題に入るのだが、先生はこの二つの問題について残念ながら多くを語っていない。内戦(台湾)の問題については、日本が能動的なリーダーシップをとることは難しいと語るだけに留めている。確かに、戦後60年経った今でも「二つの中国」問題は解消していないし、それについて大きな変容を果たせるイニシアティブを握っているのは、その二つの国民のみである。日本が何かアクションをとったところで、それが突飛な軍事的方法などではない限り、問題が一気に解消へ向かう可能性はないのだから、流れに任せるという選択肢しか選びようがないのだろう。

 戦争責任の問題については、非常にデリケートな問題であると断った上で、賠償責任に対する二国の解釈の相違を指摘している。この問題は、解釈の相違が根本原因であるという点において、解決の非常に困難な問題である。だが、現実に日中関係が経済発展に伴って緊密になるとき、この問題の解決無しには前に進めない。このように指摘した上で、先生はジレンマを断つ方法は決断しかない(以降、下線部は高坂)と大胆に提言する。前に進むには決断しかなく、それには多かれ少なかれ犠牲が生じるが、その犠牲をできるだけ減らすために、日本は広い意味における力を充実させ、強力な政策をおこなわなくてはならないのだと。

 以上、先生の中国問題に対する指摘は、論文が書かれて40年経った今でも、十分適応しうるものであると言える。これこそが、現実に対する誠実な姿勢の生み出すところの真実なのであろう。だが、最後の戦争責任の問題だけは、ここ数年の小泉外交によって大きく変容を遂げたように思う。明日は戦争責任の問題の最近の変貌についてエントリを書くことにする。

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2006年3月25日 (土)

野党が責任追及する理由

 私は数日前から春休みである。いろいろなことが一段落ついて落ち着ける時期であるので、この春休みは読書と思索(勿論勉強もしなければいけないわけだが)に打ち込みたいと思う。
 この時期の新聞やテレビを見ていると、非常に国会が不毛な論議に包まれていることに気付く。例の永田議員による一連の偽装メール問題である。この疑惑問題によって国会の重要な議題は進行ストップを余儀なくされ、連日の活気がない国会が続いている。そこで、私はこの「責任」という言葉について興味を引かれたので、今日は少しそれを考えてみたい。ただし、ここで私が問題に挙げる「責任」とは、議員個人の責任ということではなく、政党が責任を問う(問われる)場合のことである。

 一般に考えてみると、責任というのは全員が等しく何らか背負っているものだと考えられるが、政治の場ではいささか違うように感じる。常に責任を追及されるのは、政権を担う与党であり、責任を追及できるのは政権という責任を背負っていない野党である。今回の永田議員の件では珍しく野党が批判の矢面に立たされることになったが、基本的な図式としては先のようなもので問題ないと思う。
 では、なぜ野党は与党に対して責任追及するのか。当たり前とも思えるこうした行為の意図を、いつものようにコストとベネフィットの観点から探ってみたいと思う。

 まず、野党が自らの勢力を拡大するために用いられる方法には何があるか、というところから考えていくと、大別して二つの方法があると思う。即ち、一つには自らの党の政策方針を提示する方法があり、もう一つには与党を批判する方法がある。この二つの手法に関して言うならば、前者は他党は関係なく自らの力を恃んでいる場合であり、建設的な姿勢がうかがえる。対して、後者は批判という行為単体では与党の評判を落とす効果しかないはずである。その批判がどうやって野党自身の利益に結び付いてくるのか。それにはいくつかの理由が考えられる。

 一つ目は、与党の評判を落とすことで、自らの党が最も支持されている位置に躍り出て、政権を獲得する場合である。この場合、与党の評判を落とすことは政権獲得という大きなベネフィットと結び付いていて、非常に重要な行為であることは明白だ。しかし、このことを理由とするためには、批判を行う前の段階で自らの党がある程度の大きな勢力になっていないと意味がない点に注目して欲しい。つまり、現在の日本政治の勢力図で言うならば、このことを理由にできるのは、野党第一党である民主党のみであり、あとの小粒な野党はこのことを理由にしたところで、絵に描いた餅に過ぎないのである。
 そう考えていくと、弱小野党には何か他の理由があるはずだ。それは果たして何だろうか。弱小野党が、先に挙げた二つの手法を行うそれぞれの場合のベネフィットについて考えてみたい。弱小野党が自主的な政策提言などを行った場合は、民衆の注目度はその野党の知名度に比例するのであり、どれだけ優れた政策方針であっても、野党の知名度が低ければ政策方針への民衆の注目度も低い。それに対して、与党へ批判を行う場合は、民衆の注目は与党の方に注がれているのであり、弱小与党が優れた批判をして与党が答えに窮すようなことがあった場合、民衆の注目は弱小野党にも大きく注がれることとなる。この点において、政権の座など関係ない弱小野党であっても、自らの党の宣伝を行い勢力伸長を目指すならば、自ら政策方針を提示するよりも与党に対して批判を行うことのほうが効果的であることが分かる。弱小野党が与党に対する批判をするのは、そうすることで与党に連なって知名度を保つことが目的であり、彼らは与党の知名度に依存しているという情けない背景が浮かび上がるのである。


追記
 本日は与党への批判の理由を探ったわけだが、野党は批判だけをしているというような最後の結論は、極論で間違っていることは言うまでもない。実際の野党は、与党に対する批判的キャンペーンを行いつつ、自らの政策方針を示して国民からの支持を集めるという、二つの手法の相乗効果を利用しているからである。
 ただし、実際の政治の場でも、共産党や社民党などの政策方針はあまり国民に対して印象を与えれらていないことも事実である。共産党らが提示する福祉政策の中には意外と使えるものも多く、数年経ってから自民党が同じような趣旨の政策を掲げていることもしばしば見られる。多分そのときに大半の国民は自民党が初めて提示した政策だと思っているだろう。それだけ、弱小政党の政策というのは注目を受けにくいという性質があるのだ。
 また、現在の野党の勢力図が、政権交代政党とする民主党と他の野党に分かれてきたことも面白い。野党の中にもそれぞれの役割があることを自覚し始めているからである。中でも、共産党が掲げた「確かな野党」という理念は十分な評価に値する。マジョリティに対するアンチテーゼという、社会の中でなくてはならない役割を自らが自覚し、そのように振る舞う意志を明確にしたからである。
 このようにして書くと、私が共産党の支持者のように思われがちであるが、私はあくまでも「マジョリティに対するアンチテーゼ=マイノリティ」としての共産党を評価したのであり、仮に共産党がマジョリティであったなら激しく反対するだろう。つまり、私がどれだけ評価しようと、共産党はせいぜい優秀な助演俳優に過ぎないのであり、私が素晴らしいと思う主演俳優は別にいるということである。その支持する主演俳優の名前は、今度の選挙シーズンのときにでも書くとしよう。

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2005年11月24日 (木)

ドイツ大連立は前進か後退か

 ドイツでメルケル新首相が誕生した。今回の新首相選出にあたって、与野党の大連立が組まれたことは注目に値する。メルケル新体制の発足はドイツの抜本的なレジームチェンジとなりうるのか、はたまた退嬰に移るのか、どちらであろうか。

 前シュレーダー体制では、フランスとの協調でEUの規模権限を拡大し、米国にも対抗しうる国家連合を作り上げた。そのEUの代表としてドイツはフランスと共に米国のイラク戦争に反対するなど、毅然とした態度で国際外交を行ってきた。その背景には強大なEU覇権があったからである。だがメルケル新体制ではアメリカとの協調外交へ戻っていく可能性が高い。EUを共に主導してきたフランスも、EU憲法が国民投票によって否決されるなど、EU覇権の拡大に待ったがかけられたからである。そんな状況の中でドイツが米との協調路線に戻るのはやむを得ないことではないだろうか。

 一方でドイツの国内情勢は窮迫している。ドイツ国内失業率は17%を超え、フランスの10%と同様に移民・外国人労働者流入の影響が出ている。トルコからのガストアルバイターの増加が主な要因ではあるが、EUの東欧拡大によって新たに加盟したポーランドなどからの労働者の流入が問題に拍車をかけている。近頃では「ポーランド人の配管工」という言葉が世間の風刺で用いられるようになった。そんな中で雇用是正の為にEU拡大を進めたこれまでの方針に批判が集中する虞があり、メルケルがどのような労働者政策を行うかに期待が集まる。

 しかし、その政策の決定機関たる政府・国会が確かなリーダーシップを発揮できるのか、という部分には疑問が残る。大連立を果たしたとはいえ、それが妥協含みのものであるからだ。実際に首相選出投票の時に社民党左派が離反して票を投じなかったことなど、先行きへの不安もある。外部の反対勢力よりも内部に存在する反対分子の方が全体の意志決定にとって大きな足かせとなることは、小泉内閣発足当時によく言われた「抵抗勢力」という比喩からも明らかである。

 メルケルに首相の座を明け渡したシュレーダーは、近く下院議員も辞職しベルリン市内で弁護士事務所を開くという。まだ61歳で政治家としてはこれからとも言える年齢である。「引き際は潔く」と言うにはあまり若すぎる年齢だと感じなくもない。ベルリン崩壊後のドイツ、ひいてはヨーロッパを牽引した傑物が引退することは、良くも悪くも新たな時代へと順応していくドイツの姿を映し出したものであろう。

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