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2007年4月11日 (水)

”改革派”滋賀県知事と民意の行方

 先日行われた統一地方選では、滋賀県議会選挙において新幹線新駅の建設に反対する嘉田由紀子知事を支持する「対話でつなごう滋賀の会(対話の会)」の他、嘉田県政に賛同する政党・会派が議席数を大幅に増やした。それに対して、議席数を大きく減らし大敗したのは自民党である。思えば、新幹線新駅という箱物公共事業に反対する気運が都道府県規模で明確な形となって示されたケースは珍しい。本日は久々のエントリになるが、今一度嘉田知事当選に始まる滋賀県政の一連の動きを振り返ってみたい。

 嘉田由紀子氏が当選したのは昨年七月。選挙前から県で問題になっていたのは新幹線の新駅を栗東市に建設するというものだった。滋賀県民の大半はこの新駅建設に反対の姿勢をとることになったわけだが、それには事情がある。大阪を発って名古屋方面へJR在来線を利用して行く場合、新快速が一番速く運行しているのだが、滋賀県南部の停車駅は意外に多く、滋賀県在住者からすると在来線でも都市圏へのアクセスにはそれほど事欠かない。これに対して建設予定だった新幹線新駅は、利用者の少ない単線路線で行かなければならない場所にあり、不便なことこの上ない。また、大阪発の新快速列車は長浜を終点として停車することが多く、これによって長浜市などは多くの観光収入を得て地域の町おこしに見事成功している。新駅の利便性の低さに加え、自力で地域振興を成し遂げたという県民の経験が、そのまま新幹線新駅に反対する動きとなって現れたのである。それはほとんど暗黙のコンセンサスに近いものであったに違いない。ともあれ、滋賀のこのケースは箱物公共事業に反対する県民の思いが反映された稀なケースとも言える。

 元来、公共事業に反対する動きというのは、住民投票において示されることが多い問題であった。しかしながら、住民投票は民意を反映する一つの手段であるとはいえ、施政に真っ向から対抗しようとする民意の”力攻め”である。代議制のシステムではこういう明確な不満の意思表示をしなくてもいいように、選挙の時点で公共事業反対の意思を示しておけば良いのだが、そうならずに住民投票に至ってしまうケースが圧倒的に多い。それは選挙において十分な選択肢が示されていない所為である。概して公共事業に結び付きが強い保守政党は、確かに民意の強い反対に遭うこともあるが、市民は選挙の際に公共事業問題だけでなく施政を総合的に判断する。その結果、公共事業には反対であるにもかかわらず、他の候補が包括的な施策の魅力と信頼性に欠けるということになり、依然として現職候補が選ばれてしまうのである。全体で見て良い選択肢が無いからやむなく現状維持せざるを得ない、という民意の決断は非常に理性的なものであるが、やはり市民としては公共事業に反対する立場上、現状維持というのは消去法の選択でしかない。そのような場合、自分たちの意に適う候補を市民自らが擁立することはできないものだろうか。市民が候補者選びから立候補、そして当選までを一貫して主導できるならば、それは代議制下では一種理想の自治モデルと言えるであろうし、それを可能にするシステムあるいはモデルとなる事例がないものかと思う。先に挙げた滋賀県政の例を見てみると、嘉田氏は広く民衆の支持を集めて当選したのであるが、市民が嘉田氏に立候補を要請したというわけではなく、嘉田氏の示す施政の方針に市民が賛同して乗っかった、と言う方が正しい。一般的には嘉田氏を知事に押し上げた民意の力に驚く人のほうが多いことであろうが、私はむしろ民意に沿う施政を掲げる嘉田氏が立候補していたという偶然の方が貴重で驚きに値することだと思っている。

 一般に「市民派」を名乗る政治家というのは、画期的な改革の提言をしていることもあるが、他の政策に関しては極端なスタンスを取っていたりするなど、総合的な観点から評価できない者が多い。それは彼らが「市民派」という言葉を、現実的な方法論の上でのスタンスとしてではなく、イデオロギー的性格を帯びたものとして受け止めている所為である。嘉田知事は箱物事業に反対する県民の民意によって当選した「市民派」の政治家であるが、その施策がイデオロギーだけに依拠することなく、現実に合わせて対処していくことが望ましい。知事は脱ダムの選挙公約も掲げていたそうだが、脱ダムは前長野県知事の田中康夫氏が政治生命を懸けて取り組んだ課題であり、そう簡単に達成できるようなものではない。嘉田氏を知事に選んだ県民の側にも様々な理想はあることだろうが、現実には何を優先すべきかという判断を誤ることなく、滋賀県に芽生えた改革の兆しを絶やさないで欲しいと思うものである。

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