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2006年7月17日 (月)

列強の衝突とモラトリアム会議

 久々のエントリである。いろいろとエントリにできるようなネタはあるにはあったのだが、まとまった文章を書く余裕がないままに結構な期間が過ぎてしまった。これまでは所詮やる気の問題に過ぎなかったのだろうが、三年生の夏休み以降は本当に忙しくなりそうで、更新を続けていける自信はない。意外と「忙中閑あり」などと言ってエントリを書いていたりするかもしれないが、不定期更新はやむを得ないので、その旨ご了承されたい。なお、私が怠惰の中にあった間にも、ページビューが全く衰えることなかったのには、驚きと共に感謝を感じている。

 本日のエントリは、例の北朝鮮ミサイル問題に関連したものである。今回のような大きな事件については、たいてい私なんぞが書くよりも秀逸なエントリが出ているので、あまり触れないことにしているのだが、今回は問題の裏にある一つの背景事情を明らかにしたいと思う。一部のブロガー諸氏は既にこの辺の事情を基礎認識とされているようだが、今一度基礎を整理してみるのも悪くはないだろう。

 5日未明に北朝鮮がミサイルを発射したとき、多くの日本人は非常に大きな衝撃を受けたことだろう。その衝撃の大きさ故に、対北朝鮮制裁が速やかに行われると予測した人も少ないはずである。しかし、現実には日本の制裁決議案は中国・ロシアの反対によって延期され、決議採択までが難航している。このように現実がミサイル発射の重大性とは裏腹になっているのはなぜだろうか。それを考えるには日本を中心にしていても何も始まらない。各国の立ち位置というものを再確認する必要がある。

 まずは韓国であるが、あの国の認識は明らかに日本と違う。韓国の姿勢は太陽政策と呼ばれる基本指針が示すように、北朝鮮を同民族国家と考え、融和の先に南北民族統一という夢を描いているのである。しかし、韓国は北朝鮮との統一をひたすらに進めたいかと言うと、そうではない。南北統一に伴う経済格差是正によるリスクは韓国も重々承知していて、現在の体制のまま北朝鮮が経済的に発展することを望んでいる節がある。実質上、北朝鮮は韓国と同じ民族国家ではないのだが(この点は過去に指摘した)、民族という幻想を抱き、一方で経済格差という厳然たる事実の前に立ち止まらざるを得ないジレンマが彼の国には存在している。

 この南北の経済格差という問題だが、もし朝鮮半島が併合した場合、それに伴うリスクは韓国のみならず、資金援助や難民受け入れという形で近隣諸国が多かれ少なかれ責任を果たさねばならなくなる。おそらく韓国の次に影響が及ぶのが中国であり、更にその次が日本である。「北朝鮮を潰しても構わない」という過激な発言は、もはや巷間でよく耳にするものであるけれども、日本も北朝鮮崩壊によるリスクの一端を負う運命にあることを理解した上でなければならない。

 他に北朝鮮を取り巻く諸国としては、中国・ロシア・米国という大国が浮上する。これらの国々は、大国という地位ゆえに互いに相容れることがない。BRICsと呼ばれ経済発展著しい中国とロシアは、共同で軍事訓練を行うなど共同歩調を取っているかに見えるが、その実、国力面では潜在的なライバル関係にあり、共通の敵あるいは味方を作り出しておかなければ、中長期的に二国は互いに衝突しかねない。また、ロシアからすれば、北朝鮮はソヴィエトで社会主義を学んだ金日成が建てた国であり、これを失うことは自らの極東における勢力圏の一端を失うことだとも言える。

 残るは超大国と呼ばれる米国であるが、彼の国が東アジアにおいて抱えている最も大きな懸念は中国の台頭である。もちろん米国の対中政策は封じ込めなどではなく、「responsible stakeholder(責任ある利害共有者)」という言葉が示すように、一定の関係を保ちつつ相手を取り込んでいく指針である。しかし、イデオロギーの相違などの種々の問題を抱えた両国は、国力の増大に伴って互いに警戒せざるを得なくなっている。両国の外交の一挙一動に緊張が走る現在、両国が北朝鮮問題を巡って同じテーブルに着いていることは互いの出方を探る意味でも、重要な会議のはずである。まして、北朝鮮問題というテーブルが無いならば、両国の外交には更にセンシティブな緊張感がつきまとうことだろう。

 こうして見てみると、北朝鮮を挟んで話し合っている各国は、決して円滑な関係を築いているわけではないことが分かる。むしろ、北朝鮮問題というテーブルを挟むことによって、各国は体裁上とは言えども協調的な姿勢を作り出すことに成功しているのだ。だから、この事情を踏まえて考えると、北朝鮮を巡る六ヵ国会議は各国が北朝鮮を巡って利害を調整する場と言うよりはむしろ各国が利害で直接衝突しないようにするための”モラトリアム(猶予)会議”と捉えるのがふさわしいだろう。

 ちなみに、この構図は第一次大戦前に中国に対して侵略を行った列強の対立に似ている。当時は義和団事件の鎮圧に列強が8ヵ国共同出兵を行うまでになったが、いざ中国の利権を食い尽くした後になると、列強同士の対立は激化した。現代でも同様に、北朝鮮問題が消え去った後にこそ、真の列強の対立が待っているのではないかと思う。無論、そこで繰り広げられる対立はすぐさま大戦へ発展するようなものではない。だが、経済的な対立関係を基調としながらも、武力というカードをちらつかせつつ、現代の列強同士のパワーゲームは始まることであろう。そうした観測に基づけば、現在の北朝鮮は奇しくも列強同士の緩衝地帯になっている現状が浮かび上がる。各国にとって北朝鮮が存在していることのメリットはほとんど無いけれども、北朝鮮がなくなった場合のデメリットの大きさゆえに、逆説的に北朝鮮を潰せないという事態が生じているのではないだろうか。

 こうした状況の中、日本だけが北朝鮮問題に対して真剣な取り組みをしているように見受けられる。それは、北朝鮮のミサイルが高確率で日本に向けられていることに加えて、少数の犠牲を顧みる必要のない大国の論理を、平和主義国家である日本は受け入れられないことによる。だからこそ、日本国内において極端な見解しか持ち合わせない右派や左派の発言力が増大するのだとも言えよう。

 さて、肝心のミサイル発射に関する国連決議の行方だが、私がこの草稿のアイディアを練っている間に結果が出てしまった。私が言いたかったのは、もし中国やロシアが拒否を示し続けた場合、問題は北朝鮮を通り越して、米国vs中国・ロシアの鮮明なる対立構図に置き換えられるに過ぎないということである。北朝鮮が一種の緩衝地帯であり、それに伴う協議が各国にとってモラトリアムであるということを考えたとき、中国が適当な落とし所を作ってきたのは至極必然的な帰着である。当初中国・ロシアが拒否をしていたのは特に異常なことでもなく、贈り物に対して一度辞退してから受け取るのが日本人の儀礼であるように、国際的な外交儀礼としてそうしていただけのことである。兎にも角にも、北朝鮮の思わぬ暴発が日本にとって有利に運んだことに、私は素直な感慨を抱くものである。

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