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2006年4月 1日 (土)

強硬策の始まりと終わり

 今日は予告していた通り、一昨日のエントリの続きを書こうと思う。一昨日のエントリでは、高坂先生の著作を読み解いて、日中関係の前進のためには戦争責任の問題についての思い切った「決断」が必要であると書いた。しかし、それからの日本が辿ってきた道は、中国に対する明確な決断を避けたまま、態度のはっきりしない外交姿勢を続けるものであったように感じる。一般には、この外交姿勢が”弱腰外交”と言われ続けてきたのだが、このことは中国問題を特段に悪化させるものでもなかったと思う。なぜなら、そうした姿勢は問題に対して本質的解決を避けて先送りにするものでしかないからである。一方で、中国の突きつけてくる戦争責任に対する要求は、日本が”弱腰外交”を続けた長い期間のうちに、やがて中身のない陳腐な要求へと変わっていった。いつまでも同じ要求を繰り返す中国に対して、国際社会はそれが利己的なものに過ぎないと気付きだしたのだ。

 残念なことに、日本では戦争責任の問題を道義的側面でしか捉えてこなかった。しかし、問題を提起する主体は一つの権力国家に過ぎない。そう考えたとき、中国が繰り返す要求は利己的であることが見えてくるのだ。最近は日本でもそうした考えを持つ人が多くなってきている。その中でささやかれ出した、戦争責任問題が中国の外交カードであるとの考え方は、戦争責任の道義的色彩が薄れた現在においては有効なものであると言えよう。なお、外交カードについての考え方は、馬車馬氏によるエントリが非常に秀逸である。是非そちらを一読されてから、続きを読んでいただきたい。

 ”弱腰外交”をずっと続けてきた日本であったが、小泉首相はその旧弊をいとも簡単に打破した。小泉首相が靖国参拝を強行することによって、ついに「決断」が実行されたのである。小泉外交は中国に対する態度を驚くほど一変させた。それはまさに現代日本の”外交革命”と呼ぶにふさわしい。一方、革命的な小泉外交に比して、以前の”弱腰外交”にはより一層の批判が加えられるようになったが、中国の外交カードを陳腐化させた功績という点では、”弱腰外交”は今の小泉外交の布石として十分すぎる役割を果たしたように思う。

 小泉以後の対中強硬姿勢は、戦争責任の道義的側面と権力主義的側面の切り離しを迫った点において評価ができる。だが、強硬策には言うまでもなくデメリットがあり、使う時と場合を考えないと、自らに被害が及ぶ諸刃の剣であると心得なければならない。つまり、小泉外交が打ち出した強硬策は、その目的が達成されたタイミングを見極めないと、中途半端な効果に終わってしまったり、却って自らに害を為してしまう性質のものなのである。では、対中強硬策の「目的が達成されるタイミング」とはいつなのかという問題の答を、以下に提示する三つの問いを通して明らかにしていきたい。

1.中国が「靖国カード」をまだ使えると思っている可能性は?
 あると思う。なぜなら、靖国問題については日本国内でも賛否が分かれているからである。ポスト小泉が親中政権になる可能性がまだ少なくない今、中国はあえて「靖国カード」を放棄する理由がないのである。しかし、もしポスト小泉が対中強硬派になるならば(むしろ親中派が寝返るというシナリオの方がインパクトが大きいかもしれないが)、中国がカードを繰り返し突きつけることの愚を悟り、放棄する公算が大きい。

2.中国は日本に対して妥協する必要があると感じているだろうか?
 感じている人々とそうでない人々がいると思う。問題再考-胡錦濤体制で何が変わったか(前編中編後編のエントリでも論じたように、経済の重要性を理解している政策担当者は、日本に対する妥協点を探っているだろう。しかし、軍を中心とした愛国者たちは何が何でも妥協する必要を否定するだろう。それは日本がどれだけ総合力における優位を確立していたとしても、である。だから、愛国者の存在は妥協点を探る政策担当者にとっても足かせとなる。このとき、日本は中国の政策担当者が二の足を踏む現状を打開するために積極的に働きかけるべきだ。幸い、日本は中国に対しての経済的な優位がある。そこで、日本から中国に対して積極的に利益を示すなどして(アメに対してムチを用いることももちろんアリだ)、中国の妥協に誘導していけば良いと思う。それこそが、日本の目指すべき能動的な外交である。まずは中国の妥協を誘うことが、強硬策後の”デタント”を見据えた動きになると思う。

3.日本の強硬策はいつまで続けられるか?
 まず、日本が強硬策をとれる背景は、その経済優位にあることを自覚しなければならない。それを踏まえて考えるならば、中国経済がより一層の発展の契機を見いだす前に、問題にケリをつけてしまわなければならない。今のところ中国の政治経済双方に多大な変動を及ぼす考えられているのは、台湾次期総統選と北京五輪が開催される2008年である。日本が強硬策を続けたとしても、この出来事の前後では、強硬策をとった時のコストが大きく異なってくるだろう。力をつけた国家に対して支払われる代償はそれだけ大きくなるからである。私はその理由から、強硬策の最終期限を2008年までだと提案したい。それまでに強硬策の目的が達成されなければ、一旦はその意図を諦めるしかないように思う。経済発展についての重要な時期に、政治が原因で経済が阻害されるようなことがあっては、日本にとってもダメージが大きくなるからである。その場合、強硬策を止めるからといって特に媚びる姿勢に変える必要もない。政治についての論議は一切凍結して、「政令経熱」の状態に戻すのである。もちろん、それは望ましい結末でないことは明らかである。だから、2008年までの僅かな期間こそが、中国問題についての正念場であると言えよう。

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コメント

こんな日に書いてますけど、4月馬鹿じゃないです。まじめに書いてます。
念のためこんな但し書きをばw

投稿: 熊助 | 2006年4月 3日 (月) 01時13分

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