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2006年4月11日 (火)

対中デタントの始まり

 昨日は中央公論5月号の発売日であった。漫画雑誌を買うことの無かった私が、他の人が買わないような硬派なものを読もうと思って二年前に買い始めて以来、今ではこの雑誌を買うことが月に一回の楽しみとして定着している。この種のオピニオン雑誌では他にも様々なものがあるが、私が敢えて中央公論を選んだのは、過激な言論を避け、落ち着いた視点で世間を論評している姿勢が気に入ったからだ。中でも、今月号で最も心待ちにしていた雪斎先生の論文は、激情に任せて語ることを避け、冷静に、そして誠実に現実と向き合ったものであった。政治に関する論者は「右翼」「左翼」という区分けで論じられがちであるけれども、雪斎先生はそのどちらでもない「現実主義」の論壇に立つ政治学者として、揺るぎない主張の堅強さを誇っていると思う。今月号の雪斎先生の論文は対中政策について論じたもので、これまでの強硬策に代わる次段階の政策として、デタントの必要を提言している。感情に囚われずに考えるならば、強硬策の後にはいつか緊張緩和のタイミングを見つけ出す必要があるわけで、その点では私の考えと大筋で一致している。ただ、現状認識のいくつかのポイントで私の考えとは相違が見られるので、それらについてまとめようと思う。なお、私の対中政策についての今後の展望は4月1日のエントリで簡潔に明かしている。そちらを参照しながら以下をご覧いただきたい。

 まず、雪斎先生と異なるのは、小泉外交に対する評価である。端的に言うと、先生は否定的に、私は肯定的に評価している点が異なっている。先生は対中強硬策による国交の半断絶状態を、国際政治における停滞として見ているが、私は単なる停滞として見ていない。私の小泉外交に対して評価する視点の基盤になっているのは、靖国問題が一つの外交カードであるという認識であり、小泉外交は確かに表面上は停滞だったと言えるかも知れないが、中国問題が辿ってきた歴史的経緯を鑑みるならば、戦争責任問題の道義的側面と権力政治的側面の切り離しを迫った点において肯定的な評価を下せるのである。小泉首相自身がそれを意図したのかどうかは不明だが、外交断絶は”有意義な沈黙”として次のステップへの足固めの役割を果たしている。一方、小泉外交に対して否定的評価を下した雪斎先生も、文脈上では戦争責任問題が政治的干渉を受けずに本質的解決を必要としていることを述べており、結果それほど観点の相違はないように思う。とすれば、これは微妙な差異に過ぎないが、このことは思考の立脚点が多様であることを示しているのではなかろうか。

 二つ目の相違点は、中国の統治体制の強さに関してである。先生は中国の経済的成長に対する一方的な肯定的評価に疑問を呈する意味で、統治体制の不安定性を提示している。だが、私はこの不安定性が体制にあまり大きな影響を及ぼさないと考えている。なぜなら、中国は体制として徹底した中央集権を採用しており、これらの不安定性が障害として発現するのを押さえ込めるだけの国家権力を有していると評価するからである。これは中国が独裁国家であるとする言説ではない。あくまでも中国の統治構造と、数々の暴動が鎮圧された事実に基づいている。ただ、これらについて中国が困る局面があったならば、日本はその局面の打開のために協力することを外交上の”アメ”として提示して良いと思う。

 最後に提示する先生との相違は、この問題に関する最も重要な論点である。それは中国を政治における合理的アクターとして捉えるか否かの問題である。先生は中国の外交担当者が周恩来のような卓越した実務家の系譜であるとして、合理的アクターとしての中国に期待を寄せている。それに対し、私は4月1日に挙げた二つ目の問いで明らかにしているように、実務家が必ずしも自由に動ける態勢ではないではないことを挙げて、合理的アクターとしての中国に疑問符を付けている。近代国家の一つである中国は、その内部の軍部や民衆の反発を抑え込む術を完璧には為し得ないからである。結果、全体として見た中国は”足かせによって合理的になりきれないアクター”であるとするのが私の評価である。このことが政策決定にどのように影響してくるかは判然としないが、対中デタントに際してはこれまでに無いほどの慎重さをもって外交を進めなければならないことが言えるだろう。ついでに言うなら、「ポスト小泉」の時期にデタントに踏み切ることも極度の慎重さを必要とする。下手をすればデタントが失敗に終わり、再び中国の「靖国カード」が復活しかねないのである。この理由から、私はデタントまでにもう一段階、「ポスト小泉」でも強硬姿勢を崩さないアピールが必要かと思う。そうしてやっと、中国に意味を納得してもらった上でのデタントができるのだと思う。

 ここまで雪斎先生の論文との細かな相違点を指摘してきたわけだが、先生と私の主張はその結論について何ら違いはない。これまでの強硬策に代わる対中デタントがこの先数年の間に要請されること。これは日本外交が向き合わなくてはならない厳然とした現実である。日本が左右の陳腐な感情論に惑わされることなく、毅然とした外交姿勢をとることを私は願ってやまない。

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コメント

 トラック・バックを有難うございます。
 貴殿のようなコメントを頂けるのが、ブログを運営していて良かったと思えることの一つです。
 さて、小泉外交への評価ですけれども、現下の対中関係の膠着は、「確信犯的に日本が望んで導いた結果」なのか、「靖国参拝などによって期せずして生じた結果」なのかという判断によって、評価が割れると思います。もし、前者ならば、小泉純一郎は、何と畏怖すべき政治家であろうと感服しますけれども、拙者は、そこまで意図的にやっていると判断できませんでした。だから、あのような評価になったと思います。
 もっとも、対中デタントは、対中牽制を否定するものではなく、むしろ両立するものだと思います、1970年代の米国が、対ソ連デタントで核管理に弾みを付けた一方で、対中接近でソ連を牽制したのと同じ理屈です。
 加えて、拙者が期待しているのは、中国政府の中の実務家の系譜にある人々の存在です。それは、丁度、第二世界大戦中の米国政府が、浜口雄幸や幣原喜重郎といった日本指導層の中の「宮中重臣・リベラリスト」グループに期待したというのと同じ構図です。貴殿が仰せの通り、中国「実務家」層が中国政府の中でどれだけ影響力を持っているのかは判断できませんけれども、少なくともこうした層を「苦境」に追い込むようなことは避けたいと思っています。対中「デタント」はその意味でも考慮すべきであろうと思っています。
 何れにせよ、こうした議論は、日々、「自分が何故、そのように判断したのか」ということを反省し、思索を続けながら、
取り組んでいくしかないとおもいます。社会科学には、単純な「解」などないのですから…。
 重ねて、御礼申し上げます。

 追記、別のエントリーに誤ってコメントを入れてしまったようです。そちらのほうは削除して下さい。お願いいたします。

投稿: 雪斎 | 2006年4月11日 (火) 03時45分

 コメントありがとうございます。
 私も高名な先生からリプライをいただいて、ただただ恐縮するばかりです。

 デタントと牽制が両立可能であることは、見落としておりました。考えてみれば、なるほどその通りでございます。来るべき対中デタント下での牽制には、これまで培ってきた日米同盟の真価が問われることになりましょう。米国と協調路線をとることは、今後の日本にとっても必須の要項ですね。

 中国の実務家の系譜の人々には私も強い期待を寄せています。少なくとも、現体制は江氏のときよりも実務家の面で期待されていたはずですし、それを考えるならば、対中問題の清算はもっと早い段階に行えなかったのかと悔やまれます。

 社会科学についての姿勢は、絶えず自説に対して疑問を投げかけることだと思っております。自らの思索に自信をもって、しかし謙虚さを失わず、日々生きていたいものですね。

 このような若輩にコメントを下さり、誠にありがとうございます。

投稿: 熊助 | 2006年4月11日 (火) 20時49分

御免なさい。上の消しといてください。
有名な先生が感想を書かれている所に、書くのは気が引けますが、一応感想を。
と言ったものの、世間話に近いものを書きます。
一昨日胡錦濤国家主席が米国を訪問しブッシュ大統領と会談しましたが、今回の中国側の狙いの一つに優先順位としては下のほうにあるのでしょうが、胡主席の権威づけがあったようです。 熊助さんは以前胡主席は知日家で極端な日本に対する強硬外交には反対だが、軍による圧力によりやむをえなく強気の姿勢をとっていると仰っていましたが、今回の訪米で胡主席の権威付けが少しでも成功し、本文にもあった中国の合理的判断を妨げる軍や政治機関に対し発言力が高まると良いですね。 

投稿: 誉そめすーぷ | 2006年4月23日 (日) 01時09分

誉そめさん、こんにちは。

ブッシュ大統領訪中の話題について、そこまで詳しいことは知りませんでした。権威付けですか。
外交局面の進展を作っていくことは、外交担当者の発言力を強めることとして、微弱ながら、ある程度の効果は見込めますね。

ちなみに、私の胡主席への評価について触れておきますと、「知日派」「親日派」というものではなく、必要であるなら日本との友好も実行する現実的な視点を持っている、というものです。
本性的な両国の友好は、文化的交流を通じて徐々に行っていくしかありません。

話は変わりますが、先日の日本と韓国が妥協した件は、それほど簡単なものではないようです。
あらゆる力が背後で複雑に絡み合っているようでありますので。
話がまとまれば、エントリにして発信したいと思っています。

投稿: 熊助 | 2006年4月23日 (日) 16時29分

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