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2006年3月14日 (火)

格差意識の奇妙なズレ

 最近の政治では「格差社会」という言葉がよく取りざたされる。小泉改革では規制緩和、民間委託による市場競争力の強化を意図してきたが、その競争が激化することによって富裕層と貧困層との格差が拡大するという論理である。こうした格差社会について、小泉改革の責任だとする質問がこのところ国会で取り上げられているが、たかだか始まって3,4年しか経ってない小泉改革でその影響がすぐに現れたというのは嘘だろう。問題は何らかの理由で現れた格差社会をどう解消していくかであり、責任の所在をわざわざ問うところに未熟な政治が現れているような気がする。さて、その格差社会がどういう原因で起こったかを分析するのはもっぱら評論家の仕事であるわけだが、今月発売の月刊誌はこぞって格差社会をテーマに取り上げているという。私が毎月愛読する中央公論もその例に漏れない。
 格差問題に対する評論はそれぞれ読んでいくと、さまざまな分析があるなと思わされる。社会全体の動きを分析したもの、格差中の一部の人々の視点に立っているもの、経済的側面から分析したものなど。この格差問題はさまざまな問題の複合で成り立っているが故に、一筋縄にはその病巣が見えてこないものだということを思い知らされた。こんなことを書いておいて実は、私の中では格差問題に対する一貫した見解がもう既に出来上がっているので、その完全版は明日書くということにしておく。今日は格差問題の一つの側面として挙げられる「希望格差社会」「インセンティブ・ディバイド」に関して疑問を提示してみようと思う。

 ニートや若者の視点に立ってこの問題を考えると、浮かび上がってくるのは揺るぎない「上層」の存在である。自分たちよりも遥かに年上で経験も豊富、そんな人たちが会社の役員級の人材になって高い給料をもらい、周りから尊敬される人物として悠々自適な余生を送る。ちょっと極端過ぎるかもしれないが、若者である私たちが一般的に社会の上流層に対して抱いている観念はそんなものではないだろうか。この何気ない観念から導かれる上流層の姿は、戦後の年功序列型賃金制の中で形成されたイメージだと言える。そして私たちがそんな上流層をイメージしたときに思われるのは、「どれだけ仕事を頑張っても、年をとらなければ上流層にはなれない」という一種のあきらめにも似た思いである。戦後の年功序列型賃金制の結果、年齢による階層が超えられない壁となってしまい、私たちは必要以上に頑張ることの無意味さを感じ、労働意欲が低下した。この状況が若者である私たちの労働に対する無気力の原因になっていることは十分に言えるだろう。
 しかし、そうした閉塞的な状況も一変する。それは西欧合理主義に範をとった「実力主義」の風潮である。企業に入社して年をとらなければ上流層になれないのなら、自分でのし上がって上流層を勝ち取ってやろうという考え方が若者の間に浸透し、閉塞感の中で鬱屈していた精神が、逆に起爆剤となって彼らに下克上を成し遂げる力を与えたのである。彼らは「実力」を元にのし上がり、社会の上流層に成り上がった。そんな彼らは「ヒルズ族」などと呼ばれるようになって、世間でもてはやされた。「ホリエモン」などはその一典型であったと言って良い。まさに彼らは今まで年齢の階層の中で上流層ではない部分に位置づけられていた者たちであり、彼らがのし上がるという現象は全ての「上流ならざる者」に希望を与えるかに見えた。しかし、「ホリエモン」が一躍人気者になったことで、彼が上流層になれたのは学歴があったからだ、というような批判も聞かれるようになった。”上流層にのし上がった者を、別の理由から固定化した上層に位置づける”というこの状況が、私には奇妙でたまらない。社会の「上流ならざる者」はこうもひねくれた精神の持ち主であるのか、或いは二分化された世論を私が一元化して誤解釈してしまっているだけなのか。原因はどちらでも無さそうだと思う私は、もっと深い奥があることを勘ぐってしまうのである。

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コメント

上流層とは即ち"上流ならざる者"が憧れる対象であって、その憧れという意識はその地位に対してではなく、その人物を上流たらしめた要素に対するものだ、とか。
つまり年齢であったり学歴であったり、自分でどうにかすることの出来ないものを持つ者に対する一種の妬み的な物があるのでは、とか。

俺は特に憧れとかはないので知りませんけれども。
何か論点違う気もしますが、修行中ということで平にご容赦を。

投稿: しゅぎょーちゅう | 2006年3月14日 (火) 20時13分

しゅぎょーちゅうさん、コメントありがとうございます。
まぁ、話をまとめるとそういうことになるわけですね。私は文章の後半になると息切れしちゃって、肝心のまとめが細切れの文章になっちゃってるケースが多いので、そうやってまとめ直していただけると、私のほうも読者の受け取り方がよく分かって助かります。

内容は仰るとおりで、”上流ならざる者”の上流に対する感情を推測していくと、結局は妬みのようなマイナス的な要素に行き着いてしまう、ということを提示したかったのです。
ですが私個人的にはこれがしっくり来ないんです。社会問題は全て負の感情に起因しているだとか、それも一つの真実には違いないんでしょうが、それを言ってしまうと絶望だけが残って後が続かないんですよ。。。w
問題解決の糸口を見いだすためにはもう少し構造的な分析が必要だなぁ、とそう思う次第です。

投稿: 熊助 | 2006年3月14日 (火) 21時18分

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