« 格差社会に対する論考 | トップページ | 「国家の品格」は書の品格に欠ける »

2006年3月25日 (土)

野党が責任追及する理由

 私は数日前から春休みである。いろいろなことが一段落ついて落ち着ける時期であるので、この春休みは読書と思索(勿論勉強もしなければいけないわけだが)に打ち込みたいと思う。
 この時期の新聞やテレビを見ていると、非常に国会が不毛な論議に包まれていることに気付く。例の永田議員による一連の偽装メール問題である。この疑惑問題によって国会の重要な議題は進行ストップを余儀なくされ、連日の活気がない国会が続いている。そこで、私はこの「責任」という言葉について興味を引かれたので、今日は少しそれを考えてみたい。ただし、ここで私が問題に挙げる「責任」とは、議員個人の責任ということではなく、政党が責任を問う(問われる)場合のことである。

 一般に考えてみると、責任というのは全員が等しく何らか背負っているものだと考えられるが、政治の場ではいささか違うように感じる。常に責任を追及されるのは、政権を担う与党であり、責任を追及できるのは政権という責任を背負っていない野党である。今回の永田議員の件では珍しく野党が批判の矢面に立たされることになったが、基本的な図式としては先のようなもので問題ないと思う。
 では、なぜ野党は与党に対して責任追及するのか。当たり前とも思えるこうした行為の意図を、いつものようにコストとベネフィットの観点から探ってみたいと思う。

 まず、野党が自らの勢力を拡大するために用いられる方法には何があるか、というところから考えていくと、大別して二つの方法があると思う。即ち、一つには自らの党の政策方針を提示する方法があり、もう一つには与党を批判する方法がある。この二つの手法に関して言うならば、前者は他党は関係なく自らの力を恃んでいる場合であり、建設的な姿勢がうかがえる。対して、後者は批判という行為単体では与党の評判を落とす効果しかないはずである。その批判がどうやって野党自身の利益に結び付いてくるのか。それにはいくつかの理由が考えられる。

 一つ目は、与党の評判を落とすことで、自らの党が最も支持されている位置に躍り出て、政権を獲得する場合である。この場合、与党の評判を落とすことは政権獲得という大きなベネフィットと結び付いていて、非常に重要な行為であることは明白だ。しかし、このことを理由とするためには、批判を行う前の段階で自らの党がある程度の大きな勢力になっていないと意味がない点に注目して欲しい。つまり、現在の日本政治の勢力図で言うならば、このことを理由にできるのは、野党第一党である民主党のみであり、あとの小粒な野党はこのことを理由にしたところで、絵に描いた餅に過ぎないのである。
 そう考えていくと、弱小野党には何か他の理由があるはずだ。それは果たして何だろうか。弱小野党が、先に挙げた二つの手法を行うそれぞれの場合のベネフィットについて考えてみたい。弱小野党が自主的な政策提言などを行った場合は、民衆の注目度はその野党の知名度に比例するのであり、どれだけ優れた政策方針であっても、野党の知名度が低ければ政策方針への民衆の注目度も低い。それに対して、与党へ批判を行う場合は、民衆の注目は与党の方に注がれているのであり、弱小与党が優れた批判をして与党が答えに窮すようなことがあった場合、民衆の注目は弱小野党にも大きく注がれることとなる。この点において、政権の座など関係ない弱小野党であっても、自らの党の宣伝を行い勢力伸長を目指すならば、自ら政策方針を提示するよりも与党に対して批判を行うことのほうが効果的であることが分かる。弱小野党が与党に対する批判をするのは、そうすることで与党に連なって知名度を保つことが目的であり、彼らは与党の知名度に依存しているという情けない背景が浮かび上がるのである。


追記
 本日は与党への批判の理由を探ったわけだが、野党は批判だけをしているというような最後の結論は、極論で間違っていることは言うまでもない。実際の野党は、与党に対する批判的キャンペーンを行いつつ、自らの政策方針を示して国民からの支持を集めるという、二つの手法の相乗効果を利用しているからである。
 ただし、実際の政治の場でも、共産党や社民党などの政策方針はあまり国民に対して印象を与えれらていないことも事実である。共産党らが提示する福祉政策の中には意外と使えるものも多く、数年経ってから自民党が同じような趣旨の政策を掲げていることもしばしば見られる。多分そのときに大半の国民は自民党が初めて提示した政策だと思っているだろう。それだけ、弱小政党の政策というのは注目を受けにくいという性質があるのだ。
 また、現在の野党の勢力図が、政権交代政党とする民主党と他の野党に分かれてきたことも面白い。野党の中にもそれぞれの役割があることを自覚し始めているからである。中でも、共産党が掲げた「確かな野党」という理念は十分な評価に値する。マジョリティに対するアンチテーゼという、社会の中でなくてはならない役割を自らが自覚し、そのように振る舞う意志を明確にしたからである。
 このようにして書くと、私が共産党の支持者のように思われがちであるが、私はあくまでも「マジョリティに対するアンチテーゼ=マイノリティ」としての共産党を評価したのであり、仮に共産党がマジョリティであったなら激しく反対するだろう。つまり、私がどれだけ評価しようと、共産党はせいぜい優秀な助演俳優に過ぎないのであり、私が素晴らしいと思う主演俳優は別にいるということである。その支持する主演俳優の名前は、今度の選挙シーズンのときにでも書くとしよう。

|

« 格差社会に対する論考 | トップページ | 「国家の品格」は書の品格に欠ける »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/56846/1160265

この記事へのトラックバック一覧です: 野党が責任追及する理由:

« 格差社会に対する論考 | トップページ | 「国家の品格」は書の品格に欠ける »