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2005年5月 6日 (金)

人が最後に求めるもの

 いきなりの問いかけだが、あなたは人がどうしても手に入れられないものは何だと思うか。
人が手に入れたがるものと言えば、金や名誉そして愛人というのが一般的だろう。世の中を支配する欲のほとんどはこの3つのものに凝縮されているといっても過言ではない。しかしそれらを全て手に入れたとしても、絶対に手に入れられないものがまだある。それは人の過去の記憶、つまり郷愁や追憶といったものである。
これらはどれだけ金持ちになっても、偉くなっても、手に入れられない。子供の頃に遊んだ田園風景が忘れられないのはどうしてだろう。今は離ればなれになってしまった青春時代の親友や初恋の人がまだ記憶に焼き付いてるのはどうしてだろう。――
先日の痛ましい脱線事故で愛する人を亡くしてその人と暮らした日々が脳裏に焼き付いて離れない人もいるかもしれない。長い間続いてきたその人との記憶がたった一瞬の出来事で断ち切られてしまうから、人の死というものはそれだけ鮮烈な思い出となって留まるのだろう。
これらは言い切ってしまえば全て人の過去に対する執着である。人は常に変化を求めて生きているが、その過程で切り捨てられてしまったものに対する執着、名残惜しさが残ってしまっているのではないだろうか。そう考えると人の最も大きな欲というものは過去に対する執着欲なのかもしれないし、人間は元来保守的な生き物だったのかもしれない。

 私はそんなに長く生きているわけではないが、ふと家に飾ってある自分が生まれて間もない頃の写真を見ると、理由もなく涙が流れてくるときがある。また今では高校生になってしまったが、小学校、中学校の頃の思い出は懐かしい。もっと年を取れば今生きているこの時も懐かしくてたまらない思い出になるのだろう。
私は小さい頃は頑固で、わがままで、おしゃべりだった。それは今でも変わらない。だが小さい頃の友人に出会ったとき、「お前はいつまでも変わっていないな」と言われるのがたまらなくうれしいのだ。

 だって、何もかも変わってしまっては寂しいだけじゃないか。

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