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2005年5月26日 (木)

八つ当たりしか知らない馬鹿

 福岡県二丈町吉井で2002年9月に起きた立てこもり女児刺殺事件で、殺人などの罪に問われた無職川村忠被告39歳の判決が26日、福岡地裁であった。谷敏行裁判長は「八つ当たり的に無抵抗で幼い女児を殺害した残忍な犯行」として求刑通り無期懲役を言い渡した。

 実はこの男、判決が決まるまでの間裁判官や関係者に報復をほのめかす脅迫まがいの手紙を100通も送りつけていたというのである。法廷でも証人を怒鳴りつけるなどの「不規則発言」が目立っていた。そもそもこの男が当時9歳の志歩ちゃんを刺し殺したのは、警察が妻に会わせるという約束を守らなかったからだという。なんと大人気ない男だろうか。自分の意見が通らないと子供を刺殺、或いは裁判官を脅迫である。こういう男は自分の感情を制御できないばかりか、自分の意見が正当かどうかという判断能力まで失っている馬鹿と見える。法治国家である日本で裁判官に対して脅迫したところでその主張が通るわけがない。脅迫文書を100通も書く根気と努力があるなら、死ぬまで強制労働でもさせるべきだ。

 しかし無期懲役ということは20年くらいでこの馬鹿も裁判所から出てくるのだろう。裁判所から出てきたとき、男は何をしでかすだろうか。反省の態度が全く見られない言動と行動から、関係者に報復をする可能性が大いにあるのである。だから今回の無期懲役という判決は求刑通りとはいえ、全くもって甘い。なぜ殺人罪を適応して死刑にしなかったのか。死刑という刑罰は、そいつに生きている価値がないから適応される刑ではない。そいつが生きていると社会の他の人々が大きな迷惑を被るから、社会全体の幸福安全を実現するために存在しているのである。この男を死刑にせず20年くらいで釈放して、それから再犯に及んでしまったらどうするのか。関係者がまた殺されるようなことにでもなれば、日本の司法は被害者をみすみす見殺しにしてしまうのと同じなのである。日本の司法は馬鹿への刑罰を重くするべきなのである。

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