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2005年5月25日 (水)

”母のことば”の大切さ

 現在アジアでは東南アジア諸国の発展がめざましい。特にタイ、マレーシアなどの国は首都に高層マンションが建設されるなど近代化が進み、先進国の仲間入りをしようとしている。ところが東南アジア諸国の一つフィリピンは近代化が遅れている。経済発展や近代化は国民の学力水準が上がることと密接に関係していて、教育水準が上がれば経済も発展していき国民が裕福になるのだが、フィリピンにおいては経済発展の基となる教育水準を引き上げるのを妨げているものが存在する。それは一体何だろうか。

 これらの東南アジア諸国は戦後まで欧米諸国の植民地となっていた歴史があり、フィリピンはアメリカの植民地となっていた。戦後東南アジアのほとんどの国は元の植民地支配していた国(旧宗主国)の文化的支配をを振り払ったが、フィリピンは独立してなおアメリカの文化的支配の呪縛から逃れられずにいる。その文化的支配とは具体的には言語のことを指す。例えば日本では英語を除く科目は全て日本語で習う。これは当たり前のことであるが、アメリカの文化的支配が色濃く残るフィリピンでは、本来ならフィリピンの言語で教えればいいはずの科目まで全て英語で習うのである。もちろん彼らは彼らの母語を小さい時から自然と身につけてきたはずなのに、学校の授業だけは自然に話すのではなく意識して勉強しないと身に付かない他言語である英語で学ばなくてはならないのである。これは日本人が数学とか社会とかの科目を全て英語で授業するといった場合を想像してみれば容易に理解できるだろう。フィリピン人の学力向上は英語が妨げているのである。

 その顕著な例がフィリピンの医師だ。フィリピンでは医師免許を持っている医師が看護師の免許を取るという珍妙な現象が起こっている。それは医師が看護婦の免許を取って賃金の高いアメリカで働こうとするからである。国民全体としては英語の所為で学力水準が伸びないのに、エリート層だけは英語が出来ることを良いことに国外へ去っていってしまうのである。これではフィリピン国内で経済の発展を牽引すべき優秀な人材が生まれないのである。
フィリピンは民族としての誇りと母語を取り戻すべきである。母から伝えられる最も自然な言語で学ぶことが学問の理解の一番の近道ではなかろうか。このように考えるとフィリピンの話が英語教育に熱をあげる日本にも無縁でないように感じられるものだが。

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